APOCALYPSE NOW 2011 DISCHARGE JAPAN TOUR




ディスチャージ見に行ってきた。
ライブの感想については特に書きません。
実際ライブを見るのと文字や写真に起こされたものを見るのとでは感じ方が全く違う為是非ライブで見て欲しいからです。

ただ其処で起こった事だけは書きたいと思う。


大阪らしくライブハウスの二階にて日本一ガラの悪い串カツ屋臨時開店。
揚げてる人間もガラが悪いし食ってる人間もガラが悪い。
前日に一緒にメニュー考えて採用されたタマネギとナスを食す。
悪そうな人間が作る料理程美味しい不思議。


串カツを食べながら酒を飲みまくり、少し酔いながらも前端の方で割とゆっくりとライブを見ていたのだけれども、ディスチャージがHear Nothing See Nothing Say Nothingの演奏を始めた瞬間に日頃のカタルシスの解放から来る興奮と絶頂の感覚から、つい柵をよじ上り、ステージからエクスタシーを完遂させようと勢い良く飛び降りた。
着ていた軍服やクラストパンツ伝いに人の肉の感覚が体に当たるのを感じた。
正確に言えば飛び降りていたのは自分自身なので人に自分が押し当てていた事になる。

それらの漠然と肉として感じていた感覚が複数の手によって上に持ち上げられているという事に気づき、その手の群れが次々と増えては消え次第にステージ後方へと運ばれて行かんとするときにいきなり視界が上下へと一回転し、後頭部が地面に叩き付けられ激痛が走る。
一瞬目の前が真っ暗になり意識が遠のく。




秋が始まるとボトボトと落下し始める花を見る度に、昨年に亡くなった曾祖母の事を思い出す。
小さい頃よく祖母の家に遊びに行っていた僕は、その家に近かった曾祖母の家にも挨拶にいかされた。
曾祖母は優しく嫌いではなかったが、子供ながらに何を話していいのか分からず、挨拶をして二、三言、会話をした線香の香りが漂う部屋の中無言でただぼんやりと仏壇を見ていた。
その仏壇はなかなか大きくその頃の自分と同じ位の大きさがあり、奥には蓮の台座の上に乗った仏像が安置されていた。
特に仏像として見る意識等あるはずもなく蓮の上に人間が乗っている。
あの蓮の花は一体この人を何処へ連れて行くのだろう。花が伸びる様に上へ上へと向うのだろうか、それともボトリと下へ落ちてしまうのだろうか。もしくはその花弁で包み込まれただそこにあるだけになるのだろうか。
そういった意識が芽生えすらしていない年齢なのにも関わらず無意識的にもその蓮の花が何処と無しかエロティックに見えたのだけは覚えている。
そしてそれを目の前で手を合わせて拝む曾祖母が何だか急に恐ろしく見えた様な気がした。
道に落ちている首がもげた花は僕にその頃の記憶を思い出させる。



気がつくとふと周りを見ると沢山の人人人。知らない人に後ろから支えられて立っていた。
そういえばライブ中だったのだという事に気がつくと急に自分の状況が心配になり、辺を見回す。
目の前に先ほどまで着けていたガンベルトが転がっているのが見えたので拾う。カメラも無事な様だ。

直前に撮った写真を確認してみる。撮った覚えも無い写真が撮られていた。
きっとダイブ中にシャッターが勝手に押されていたのだろう。
しかしこれが遠のいた意識を表している様にも見えた様な気もするしそんな事もない気がする。



をはり。