身を律すること


まだまだ不労所得有給期間は続くぜと思ってたらいつのまにか九月も半ば。

真の意味での自由人は、 自らを律する範囲内でのみ自由であるとはソクラテスの言葉らしいけれども、
全く持ってそう思うし、自らを律して生活しようとはしているのだけれどもこれがなかなか難しい。



理想としては午前八時には起きてゆっくり朝食をとり、九時位から通販の発送や仕入れの手配の準備。
午後からはゆっくりと新しい商品の構想を考えつつ昼食を取り、夕方くらいまでは思案試作。
日も暮れる頃に買い出しに出かけ夕食の準備。夕食を食べた後は寝るまで遊ぶみたいな生活。


実際はもっと緩く生活しております。
この生活の仕方は学生時代のそれを思い返すのだけれども、あの頃と違うのは切実だけどぼんやりした不安に日々苛まれるのと、
割と毎日手のかかる料理を作ってるという事。


元々なにもせずに呆とするのが苦手な性格なので、通販関係やデザイン関係にどうしてもやる気が出ない時は乞食丸出しの格好で出かける事にしている。


映画館に行って見たいのが無ければ思い出のマーニーを何回も見る生活。
勝手に救いの話だと思ってるので見てる間だけ人生救われてる感でてきてそろそろやばい。




最近はだんだんと出かけるのも億劫になって来たのも折角だからと出かける様になってふらふらとギャラリー巡りやレコ屋漁り等も。

割と都会の真ん中に住んでるので刺激を受ける場所は沢山ある代わりに落ち着ける場所がないのとお金を使わないとほぼ何も出来ないというのが辛いところである。


今日もまたふらふらと本屋探して似た様な境遇と考えの漫画があったので読んでみたらおもしろい

「何もしないでいる事」と「何もしない事をする」という事の違いがこの漫画にはある。



将来に対するぼんやりとした不安を抱えながらもこういった宗教音楽をかけながら家事や用事に勤しめば毎日それなりの結果と時間はあるのでこれはこれでまあいいかと思える様な毎日でもあるわけです。




そんな事を言っていたらいつのまにか弟の結婚式の日だったので実家まで帰省。


人前式だったので立会人という役を任されてなんか色々しなければならなかったのだけれども、
どうしてもこういった場面では何かしないと気が済まないので署名のところに自分の名前ではなくペンネーム†kuraudo†とかにしたかったけど相手の家の事もあるので必至で震える手を抑えて我慢。

でも結婚式の様子を見ていてもうちの親族だけ恐ろしいくらいにふざけ倒していて、両親までもスピーチで悪ふざけ寸前のところまでいって相手方の親族は割と引いているのが目に見えたので署名の所パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピニャーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ位は書いてもよかったのかなと少し後悔した。


弟には幸せになって欲しいですね。

もうすぐ父親になるらしいけどそれは一体どういった気分なのかしらんと思いつつも僕は子供よりもホムンクルス作る方が向いてるわと思った。